名古屋高等裁判所 昭和45年(う)6号 判決 1970年4月13日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
<前略>
控訴趣意第一、法令解釈の誤りの論旨および同第二、事実誤認の論旨について。
所論は、要するに、原判決は、その罪となるべき事実として、「被告人は、原判示日時ごろ、原判示道路において、原判示井上和子運転の普通貨物自動車の正常な交通を妨害するおそれがあるのに、原判示軽三輪自動車を運転して横断した。」旨を判示し、かつ「弁護人の主張について」と題する部分において、「本件の場合のような転回には、常に横断を伴うものであり、したがつて、被告人において、たとえ、当初転回の意思で発進したもので、それが転回としては未遂に終つたものであつたとしても、横断としての構成要件充足の行為があつた以上、横断の犯意に欠けることはなく、道路交通法第二五条の二第一項違反の罪が成立する」旨を判示している。しかしながら、被告人は、原判示道路において、原判示軽三輪自動車を運転し、転回をする意思で、徐々に進路をかえ、斜めに進行して、同道路に進出し、被告人運転の原判示軽三輪自動車の前輪が原判示道路の中央部より僅か約六〇糎はみ出した地点付近で停車したものであつて、もとより被告人に原判示道路を横断する意思がなく、同条第一項にいわゆる横断にも当らないし、原判決のいうような転回に伴う横断は同条第一項の処罰の対象とならないものと解される。しかのみならず、被告人の本件行為が、かりに横断となるとしても、本件証拠上、被告人は、原判示道路において、転回しようとして道路中央部にまで(被告人運転の原判示軽三輪自動車前輪が道路中央部より約六〇糎はみ出した地点まで)進出した時、原判示井上和子運転の普通貨物自動車が被告人の左方(西方)約41.6米の地点付近を進行中であるのを認めたので、これを通過させるため、一時停車していたところ、原判示井上和子が、前方の注視を怠り、少なくとも時速約六〇粁の高速度で、原判示普通貨物自動車を運転東進して来て、前記のように一時停止中であつた被告人運転の原判示軽三輪自動車に衝突したものと認定するのが至当であつて、被告人には、原判示普通貨物自動車の正常な交通を妨害する意思がなく、またその妨害のおそれも全くなかつたのである。しかるに、本件前後の事情あるいはその内容上、措信し得べからざる原審第二回公判調書中、証人井上和子、同牧弘の各供述記載、井上和子、牧弘の司法巡査に対する各供述調書、司法警察員加藤育男作成の実況見分調書の各記載などを措信して、被告人の本件行為をもつて、原判示普通貨物自動車の正常な交通を妨害するおそれのある横断であると認定した原判決は、証拠の取捨選択を誤り、事実を誤認するに至つたものであつて、いずれにせよ、原判決には、事実を誤認し、ひいては道路交通法第二五条の二第一項の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。
所論にかんがみ検討すると、原判決が証拠として引用した各証拠ならびに当審証人牧弘の当審公判廷における供述を総合すれば、被告人は、原判示日時ごろ、原判示道路(幅員約八米の東西に通ずる道路)南側に面する余語種苗店に所用がり、そのとき乗車していた原判示軽三輪自動車を同道路南端に西向きに駐車して、同店に赴き、所用をすませた後、再び該軽三輪自動車に乗車し同道路において、方向転換(いわゆるユーターン)をしようとして、該自動車を発進させ、時速約4.5粁の速度で、徐々に方向を北に向けながら、ほぼ斜めに進行し、該道路中央部付近に近づき(該道路中央部にはセンターラインは引いてないが、五ないし六米おきに鋲が打つてある)、該自動車前部が、右の道路中央部の鋲の線あたりに来たとき一旦停車した。一方、原判示井上和子は、原判示普通貨物自動車を運転し、原判示道路北側(同女運転の前同普通貨物自動車の右側が、前記中央部の鋲の線より、二、三〇糎北側のあたり)を東進し、被告人運転の原判示軽三輪自動車が道路中央寄りに進出して来たので、ブレーキを踏みかけたが、前記のように、被告人が一旦停止したのを見て、そのまま進行した。ところが、その際、被告人が、急に、その運転にかかる前同軽三輪自動車を、転回させる意図の下に、発進させたので、原判示井上和子において、これを避けることができず、結局、被告人は、その運転する原判示軽三輪自動車前輪付近を、原判示井上和子運転の原判示普通貨物自動車右フェンダー付近に衝突させるに至つたものであることを認めることができる。これについて、所論は、原審第二回公判調書中証人井上和子、同牧弘の各供述記載、井上和子、牧弘の司法巡査に対する各供述調書、司法警察員作成の実況見分調書の各記載などが措信できないものであるというけれども、これらを、その余の原審において取り調べられた各証拠ならびに当審証人牧弘の当審公判廷における供述と比照して、仔細に検討してみると、所論指摘の右各証拠の内容は、いずれも前後一貫し、それ自体、あるいはその相互間において、とくに矛盾する点がなく、これらが虚偽であると疑うべき箇所を発見できない。なお前掲の所論実況見分調書に記載された距離関係を誤記として攻撃する所論は、独自の立論に依拠して、計算をなすもので、該所論も首肯するに値しない。一方被告人は、本件捜査段階および原審公判廷において、一貫して、所論に沿う趣旨の事実関係を主張しているのであるが、これを裏付けるに足る証拠がなく、その他に右各所論を採用し、原判決が引用した各証拠ならびに当審証人牧弘の当審公判廷における供述により認定した前記事実関係を左右するに足る証左は存しない。(なお所論は原判示井上和子が原判示普通貨物自動車を時速六〇粁以上の速度で運転した旨主張し、被告人は原審公判廷において、これと同趣旨の供述をし、原審で取調べた水谷武市ほか五名作成の各上申書の記載もこれに沿うものであるが、その他の本件各証拠と総合して考えると、右所論に沿う各証拠は措信できず、その他にこれを肯認するに足る証拠はない。)そこで、前記認定の事実関係の下に、これが法令を適用するにあたり、道路交通法第二五条の二第一項にいわゆる転回の趣意を考えてみると、そもそも同転回とは、車両が従来の進行方向とは逆の方向に進行する目的をもつてなす同一路上における方向転換の行為を総称するものと解すべく、殊に、同条第一項にいう「転回し」という趣意は、その文義上、一見すれば、右の方向転換を終り、車両が従来の進行方向と逆の方向に進路を向け終えた状態を指称し、そのときにおいて、本罪の既遂となるように解されないでもないが、同条の立法趣旨が、車両の転回(もしくは横断、後退)による歩行者または他の車両等の正常な交通に対する妨害を防ぎ、その他道路における危険を防止し、もつて交通の安全と円滑を図るに出でたものと解せられることにかんがみると、ここに転回というのは、前叙のような方向転換の目的をもつて、この目的に沿う車両の運転操作をし、その方向転換を終るまでの一連の車両の運転操作を指称し、該運転操作を、歩行者または他の車両等の正常な交通を妨害するおそれのある状態でなした場合には、同条第一項にいわゆる転回をなしたものとして、同犯罪が成立すると解するを相当とする。従つて、右の転回行為が、その中途において、同条第一項にいう横断の形態をとつたとしても、それは、同法条に関して、転回未遂もしくは横断と解すべきでなく、転回に該当するものといわなければならない。この見地に立つて、前記認定事実を考えると、被告人は、原判示道路において転回をしたものというの外なく、その際原判示井上和子運転の普通貨物自動車の正常な交通を妨害するおそれがあつたことも明白である。そうとすると、原判決が、被告人の本件行為をもつて、同条第一項にいう横断と認定したことは、結局、事実を誤認し、ひいては法令の解釈適用を誤つたものといわなければならない。しかしながら、同条第一項の規定の内容に徴すると、同条は、転回と横断とを併列して規定し、該転回と横断との間に、これが罪責または情状に関し、法的に、とくに径庭があるものとも認められないし、原審が認定した事実は、それが横断にあたるか転回にあたるかの点を除き、当審が認定した事実と、ほぼ同一であると推認せられ、ただその法的評価如何に関するものであるから、原判決の右の違法は、判決に影響を及ぼさないと解せられる。従って、結局論旨は理由がないことに帰着する。
よつて、本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三九六条に則り、これを棄却し、当審における訴訟費用については、同法第一八一条第一項本文を適用して、これを全部被告人に負担させることとする。
以上の理由によつて、主文のとおり判決をする。(上田孝造 藤本忠雄 杉田寛)